「松のヤー」

松のヤー

とんかつ 松のや」をご存じだろうか。

 

インターネットのオタクが持ち上げがちなことで知られる牛丼チェーン「松屋」で有名な松屋フーズが経営するとんかつ屋である。550円というお手頃価格からとんかつ定食を堪能できる優良チェーンだ。

 

しかし、松のやの真の価値はそこではない。

 

なんとこの店、味噌汁とご飯がおかわり無料なのである。たったの550円で、だ。コストパフォーマンスに衣を絡めて揚げたような店なのである。

当然、カロリー/円を可能な限り最大化するためにコっスい食べ方をする客が一定数出てくる。

おかわりの米を漫画みてえな盛り方する奴、カツ一切れを1/6ぐらいずつかじっては茶碗1/4ほどの白米を掻き込み続ける奴……私は彼らを内心で「松のヤー」と名付けている。

何を隠そうこの私も松のヤーである。ちなみに上に挙げた例は両方とも自分の実体験に基づく。

 

特に二月はpaypayの40%還元キャンペーンがあったおかげで、先述のロースカツ定食は実質330円で食することができた。

これは、750円のデヴラーメン、650円で飯おかわりし放題の家系、540円で大盛無料の天丼で構成された上原クソデヴコスパ飯の環境大破壊に他ならなかった。よくもそんなことを、と胃袋の中のグレタがおかわり味噌汁にワカメを植林しながら激怒していた。

 

 

 

邂逅

さて、事が起こったのは二月の下旬であった。

 

 

松のやに入店し食券を発行すると、店内はすでに混雑の様相を呈しつつあった。カウンター席はどこに座っても隣に先客がおり、それぞれ神妙な面持ちでカツを待っているか、喉に白米を流し込んでいるか、という状況だった。

そんな中、一人だけ既にカツを平らげたOLが端に座っているのを見つけた。

 

(この人はじきに退店してくれそうだな)

 

と、そのOLの隣に陣取ることにした。

 

しかしここで一つの違和感に気づく。OLの茶碗には、およそ食後とは思えない量の白米が聳えていたからであった。

 

 

 

同族意識

この米の山は残飯か?いや、それにしては形が整いすぎている気が……少し気になりつつも、いつも通りカツ:米=1:8ぐらいの比率でコスコス食い進めていると、いつの間にかOLの盆には納豆が乗っかっていた。

 

ははあ、食後に納豆で〆ようと、そういう算段なわけだな。松のやは味噌汁も自由に飲めるから、口の中が気持ち悪いまま街に繰り出すこともない。

しかし、追加注文というややパワー系なプレイングとはいえ、こいつも「松のヤー」だな……

 

一方的な同族意識を片隅に抱きつつも、その時はまだ自分の食事に集中していた。むしろ、同族が隣にいてくれたおかげで、いつも以上にコっスい食べ方をすることに抵抗がなくなっていった。

 

カツを半分食い終わったところで事件は起きた。

 

 

 

ホンモノ

OLがおもむろに立ち上がった。米か味噌汁の補充だろう、と大して気にも留めなかったのだが、数瞬の後に視界の隅に映り込んだモノに目を疑った。

OLが持ち帰ったモノ、それは。

 

 

こいつ……!!

ヒレカツを追加注文しやがった……!!!

 

 

脳髄が揺れた。

松のヤー界においてカツの追加は常識外である。いかにコストを抑えた上で株式会社松屋フーズから炭水化物と水分を搾り取れるか、それが我々松のヤーの至上命題だったはずだ。

しかしこの女。白米と味噌汁の小手先だけのテクニックで胃袋を満たしてきた我々の固定観念を、ヒレカツというカロリーの破城槌で揺るがし、砕き、完膚なきまで打ち破ったのだ。脂肪・タンパク質こそが中核であるということに、とんかつ店に通いながら気づかなかった我々を、行動をもって啓蒙したのである。

 

この時点で既に原産地不明の敗北感が思考の流通経路に回り始めていたのだが、ここでヤツはさらに斜め上に躍り出た。

先ほど食べ終わったとんかつの網をおもむろにつかみ上げたかと思うと、その反対の手で箸を持ち……

 

 

網にへばりついた衣のカスを新しいカツに振りかけている……!!!

 

 

 

コっっっっっっっっっっっっっっス!!!!!!!!!

 

 

いくら松のヤーといえども、ここまでコスい食い方をしている奴は初めて見た。

カツ追加注文という禁じ手を使っておきながらも、松のヤーらしいコスさは失わない、いや、むしろ並みの松のヤーなど屁にも突っ張りにもならぬコスさを兼ね備えている。松屋フーズの神に二物を与えられし者が、今自分の左隣にいる。

 

もはやこの時点で敗北感は確固たる実体をもって感情を回遊しつつあった。

 

今自分にできることは、カツをいつも以上にチビチビ食って「ヤツ」より完食の時間を延ばし、せめてものコスさを証明することだけ。

自分にわずかに残った「ヤツ」への勝算。これしかない。

 

松のヤーとしての矜持をかけたラストバトルが始まった。

 

 

 

「松のヤー」

果たして、決着はついた。

半切れのロースカツを残したところで、ヒレカツはすべて「ヤツ」の胃袋へと消えた。

 

勝った。いや、完勝ではない。むしろボロ負けだ。サッカーで例えるなら、5-1くらいの戦績だ。それでも、「ヤツ」を相手に1点のシュートを決められたことに意味がある。ただそれだけでも、十分に価値がある。

 

 

先ほどから渦巻いていた敗北感の一部が達成感へと昇華しようとしていたその時だった。

 

 

「ヤツ」は茶碗からおもむろに米を掬い上げたかと思うと、

 

 

ヒレカツの皿に米をぶちまけ、

 

余ったソースを塗りたくり、

 

そして口に放り込んだ

 

 

 

 

 

いやコっっっっっっっっっっっっっっス!!!!!!!!

 

 

 

 

ああ、負けた。

負けた。

完敗だ。

何がコスパだ。何が松のヤーだ。

俺は、カロリーでも、コスさでも、負けてしまった。

 

 

「松のヤー」は、米を平らげると、そそくさと店を出た。

 

 

カウンターに残されたのは、カスみたいなロースカツの切れ端と、カスみたいな自分だけだった。