オウム真理教所属の軍用ヘリとその余生

立てばキモオタ座れば陰キャ歩く姿はPornHubでおなじみの代々木上原亜衣です。

 

この記事は『東京大学航空宇宙工学科/専攻 Advent Calendar 2019 - Adventar』の一部として用意しました。B3三連荘の最後を務めさせていただきます。

とはいえ、学科では立てば麻雀座れば荒野歩く姿はCoDでおなじみの北綾瀬はるか。意識も成績も低空を舞い地面効果でかろうじて浮いているような人間が、航空工学にまつわるサムシングを書いたとて、こないだ講師に投げつけたクズのカスのゴミカスみたいなクオリティの劣・設計計算書みたいになるのが目に見えています。

 

そこで、趣味に航空要素をむりやり取り入れ、「オウム真理教の軍用ヘリ」のお話をします。

 

オウム真理教とは

知らない方はいないと思いますが一応説明します。

 

オウム真理教とは、かつて日本に存在したカルト宗教団体・テロ組織です。東京の地下鉄にサリンを散布し数百人の死傷者を出した「地下鉄サリン事件」や、殺人の隠語「ポア」、尊師マーチなどで有名です。


尊師マーチ/麻原彰晃【オルゴール】

本拠地は山梨県上九一色村で、「サティアン」と呼ばれるプレハブの施設内で、出家信者らが日夜修行に励んでいました。

一連の事件で教祖の麻原彰晃以下13名が死刑判決を受け、昨年7月に執行されています。

大関連では、死刑判決を受けた東大理物OBの豊田亨や、1992年駒場祭駒祭委員が麻原彰晃の講演会を強制終了させた事件が有名でしょう。

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1992年12月1日 東京大学新聞 一面

 

オウムがヘリを?

さて、前述の通り、オウムの兵器と言えばサリンといったイメージがつきがちです。しかし、実はオウム真理教サリンだけでなく、自動小銃や軍用ヘリといった一般兵器も所持し、使用を企んでいました。

ウィキペディアMi-17 (航空機) - Wikipediaの「運用国」項をご覧ください。ここには、Mi-17を配備したことのある国と、その運用主体が挙げられています。

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アメリカ合衆国 空軍特殊作戦コマンド」「ベトナム 人民空軍」などの羅列の中で異彩を放つ「日本 オウム真理教」の文字。

なぜオウムは軍用ヘリを所持するに至ったのでしょうか。まずはオウムがいかにして過激化していったのか、その根源から見ていきましょう。

 

オウム真理教の教義:ヴァジラヤーナ

オウム真理教では、修行に複数の種類を設けています。

個人の解脱を完成させる全ての基本となる「ヒナヤーナ(小乗)」をはじめ、「マハーヤーナ(大乗)」「タントラヤーナ(秘密真言乗)」「ヴァジラヤーナ(金剛乗)」(「タントラ・ヴァジラヤーナ」とひとくくりにされることも)の四つがありました。

このうち、オウムの過激化の根源とも言える思想が「ヴァジラヤーナ」です。

人間の魂がもっともっとけがれ、そして第四期、破壊の直前になると、タントラヤーナの修行においても救済できない、そういう魂の世界が人間界に形成されます。
 ここで登場してくるのが、ヴァジラヤーナ、つまりフォース、力を使って、武力を使っての破壊です。

 

麻原彰晃 90年3月、富士山総本部道場にて

上記の演説からお察しの通り、ヴァジラヤーナは非常に過激な思想で、一般的な仏教の教えから大きく乖離しています。その教義が端的かつ顕著に表れている戒律「五仏の教え」の要約を示します。

【ヴァジラヤーナ五仏の教え】
  • ラトナサンバヴァの法則:徳のために使うなら財産は盗んでもよい
  • アクショーブヤの法則:相手のカルマの最も少なくなるようなタイミングでなら殺生をしてもよい
  • アミターバの法則:愛欲に溺れて真理を実践しない者の相手は寝とってもよい
  • アモーガシッディの法則:結果(救済)のためなら手段を選ばない
  • ヴァイローチャナの法則:不明。尊師曰く日本では実践できないらしい

特に前三つは一般仏教(オウム的にはヒナヤーナ)の不偸盗戒、不殺生戒、不邪淫戒と矛盾するものですが、オウム真理教では「修行者が救済のために行うのでセーフ」という理論で納得させていました。

 

アクショーブヤの法則、アモーガシッディの法則より、オウムが殺人の正当化に用いた論理が導かれます。

「現代人は常にカルマを積み続けている存在なので、すぐに殺してあげることで、本来転生するはずだった界よりも高い世界へ転生させられる」というものです。

後半の「魂を高い世界へ転生させる」行為はポアと呼ばれていましたが、上記の理屈が要因で殺人の隠語として用いられるようになりました。もちろん、ポアは善行とみなされるため、ヴァジラヤーナの教義上では殺人はむしろ推奨される行為となっていました。

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新實元死刑囚(ミラレパ正悟師・当時)による原義ポアの体験談

さらに、オウムにおいて信者が麻原に異を唱えることはご法度でした。なぜならば、最上のグルの言葉に誤りはないため、もし尊師と信徒の意見が対立したならば、間違っているのは後者であるからです。

麻原と同じように考え、行動する『クローン』化が求められた。理不尽なことでも従わないと『弟子に問題がある』とされた。

 

上祐史浩 2015、東京地裁にて証言

この教義のしみついた信者は、麻原に命令されたことならば、どんなことであろうと「グルが言っているのだから正しいに違いない」と考えるようになります。もちろん、それが殺人や窃盗などの非合法的な行為であってもです。

出家信者に至っては、サティアン(教団施設)内で情報から遮断された生活を送っており、マインドコントロール状態にあったことと考えられます。

 

以上の背景により、麻原の指示に反することなく、信者を非合法活動に従事させることのできる環境が構築されていました。

 

武装化の始まり

さて、武装化が開始されたのは、1990年からでした。

当時は「サンデー毎日」などの週刊誌にオウムを痛烈に批判する内容の記事が掲載され、一部メディアからの風当たりが強くなりはじめていました。さらに、90年衆院選に出馬した真理党候補者(麻原含む)が一人残らず落選。「オウムが国家権力やマスコミから迫害を受けている」との被害妄想を増長させるには十分でした。

 

さて、このように大きな権力からの攻撃を受けた(と感じた)ときの麻原の反応は、以下のようなものでした。

オウムは反社会、反国家である。どぶ川のなかで美しく咲く蓮華のようにあり続けるためには、反社会でなければならない。よって、国家、警察、マスコミこれすべてこれからも敵にまわってくる。

 

麻原彰晃 1990

国家権力を返り討ちにしようとしたのです。

 

麻原は自分を『弾圧されるが、戦って勝つキリスト』のようなものだと思いこんでいたようです。弾圧を受けた(と感じた)時に、大きく反発することで、キリストたる自分の存在意義を実現しようとしていたのではないかと推測されています。結果的に、麻原の思想は大きな攻撃性を持つようになりました。(注:ここの段落全部上祐の受け売りなんで信憑性はアレです)

さらに、教団は89年にはすでに坂本事件(赤子含む一家皆殺しという壮絶なものです)を犯しています。現場からオウム信者以外入手できない信者バッジが見つかるなどしましたが、警察がありえないほど無能であったため迷宮入りしました。ここから「人を殺してもなんとか隠蔽できる」と学習した麻原が、非合法活動に対する心理的ハードルを下げたことは容易に想像できます。

 

かくして、麻原は『国家権力が教団をつぶそうとしている、やらなければやられる』という旨の教えを広め始め、教団の武装化が進められることになりました。

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ヴァジラ・アヌッタラ・ヒタ・アビヴッディ精密機器工業 ここの機械でAK小銃の密造が行われた

 

ロシアへの進出

オウム真理教武装化を始めてからわりとすぐの1991年、八月革命が起こりソビエトが崩壊しました。自らが信奉していた共産主義の瓦解を目の当たりにしたロシアの民衆。彼らは、共産主義に代わる心のよりどころとなる思想、すなわち宗教を追い求め始めました。

この機をオウムは見逃さず、1992年9月にオウム真理教モスクワ支部を設立しました。布教は大成功し、ロシアの信者数は日本をも上回りました。

ロシアのオウムの事件では、01年に信者ドミトリー・シガチョフらが起こしたテロ未遂事件が有名です。これは、逮捕された麻原の奪還を目的として、東京・青森・沖縄などで爆弾テロを起こすという計画でした。最近では、18年にヴォルゴグラードでロシアの教団幹部が逮捕されています。

 

さて、当時のロシアは汚職が横行しており、政治家に賄賂を渡せばだいたいのことはできる状況だったようです。動乱後の世の中、特に兵器や武器の融通など容易なことだったと思われます。

そんな折、ロボフという政治家が露日大学設立の援助金30億円を求めて来日しました。当時のエリツィン政権には金がなかったのです。しかし、日本の政財界人は振り向きもしませんでした。

ところが、ある人物から500万ドルの援助の申し出がありました。その人物こそ、麻原彰晃でした。

ロボフはオウムに対し最大限の便宜を図ることを約束しました。ロボフの伝手で、麻原は、衛星ラジオ局の開設や、ハズブラートフ最高会議議長やルツコイ副大統領などの大物との会談を成し遂げています。(実は先述のオウムモスクワ支部の開設もロボフの便宜によるところが大きいです。)

 

このような経緯で、オウムは、ロシアに活動拠点・後ろ盾・武器取得ルートを確保することができたのです。

 

空中散布

1993年8月、土谷元死刑囚(クシティガルバ)がサリンの生成に成功しました。

サリンが完成したとはいえ、どのようにして散布するかが問題で、教団は試行錯誤を重ねていました。事実、サリンを用いた事件のうち、最初の三件は散布方法のエラーにより失敗に終わっています。

【初期のサリン事件】
  1. 第一次池田大作サリン襲撃事件:おなじみ創価学会三代目会長・池田大作を狙った事件。創価大学横の牧口記念会館にて実行。農薬散布機を用いたが、うまく噴霧できず失敗。
  2. 第二次池田大作サリン襲撃事件:トラックの荷台にサリン気化用の鍋と散布用の換気扇を取り付けた「サリントラック」をこしらえ、牧口記念会館に散布しようとした。しかし、鍋から失火してしまい、牙城会に目をつけられたため中断。一応少しは撒いたが、逆に実行犯がサリン中毒になってしまった。この反省を踏まえた改良型サリントラックが、のちに松本サリン事件において使用され、死者負傷者含め数百人の大惨事を起こした。
  3. 滝本弁護士サリン襲撃事件:オウム真理教被害者対策弁護団の長・滝本弁護士を狙った事件。車の空気吸入口付近にサリン溶液を流し入れる工作をしたが、滝本弁護士は空調を循環にしていたため助かった。滝本弁護士はこれを含め二つの化学兵器と一つの生物兵器の攻撃から生還している。

さらに、当時サリンの大量生産計画も開始されました。サリン生成プラントが完成すれば、一日当たり2t、最大で合計70tもの量のサリンが合成されることになっていました。

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H8年警察白書より

これだけの量のサリンを用いて、国家に打撃を与える散布を行うにはどうしたらよいか。

 

すなわち、空中散布です。

 

UAVを用いる方法が考案され、「ヘラクレス号」(ここうろ覚え)という農薬散布用ラジコンヘリが二機導入されましたが、双方とも試運転で事故って壊れてしまいました。

同時に、有人ヘリを利用する方法も進められていました。ロシアでの兵器取得を担当していた早川元死刑囚(ティローパ)は、93年12月、軍用ヘリ「Mi-17」の購入契約を取り付けました。これが本稿のメインテーマである、オウム真理教の軍用ヘリです。

 

4K-15214

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オウム真理教所属Mi-17 撮影者不詳

Mi-17は、4tのペイロードを持つソ連製輸送用ヘリコプターです。改造により機関砲やミサイルポッド、爆弾を搭載する能力を持たせることも可能です。

オウムが購入したMi-17は、タタールスタン製で、アゼルバイジャンにて使用されていた中古機です。機体識別番号「4K-15214」の上二桁4Kはアゼルバイジャンの符合で、この事実を裏付けています。

ヘリの取得には、オウムの献金を受けたハズブラートフ最高会議議長が関与していたと見られています。ハズブラートフ議長はアゼルバイジャン近くのチェチェンの出身で、何らかのコネクションがあったと推察されています。(追記:この辺ソースが怪しいので話半分でお願いします)

ウィーンを拠点とするマフィアを介し、アゼルバイジャンスロバキアオーストリアロッテルダム→横浜→上九一色オウム施設というルートで輸送され、93年6月に教団敷地内に到着しました。

ヘリコプターの免許を所持していた信者、岐部(マハーカッサパ)が、敷地内でホバリング試験を行ったことが証言されています。飛行した記録は存在していません。そもそも必要な手続きを航空局に出していなかったようなので、飛べば航空法違反です。しかし、捜査に当たっていた警察としては、十分な脅威であったことに違いはありません。

 

11月戦争計画

かくして教団はサリンの空中散布能力を得ました。教団武装化の先頭に立っていた早川元死刑囚(ティローパ)は、武装化計画を記した「早川ノート」を有していました。早川ノートの最終項には、「’95 11月→戦争」と記されています。これこそが、国家転覆・乗っ取りを最終目標とした「11月戦争計画」です。

11月戦争計画
  1. 1995年11月、ヘリで東京上空から70トンのサリンを散布し、混乱を起こす
  2. シェルターを作り信者を避難させた上で、混乱に乗じて核戦争を誘発させる
  3. 戦争が終わったのちに日本を乗っ取る

荒唐無稽極まりないですが、少なくとも1は実行する手立てがあったわけですから、たわごとではありません。

 

しかしながら、この計画はとん挫します。1995年の正月、上九一色村のオウム施設近くの土壌から、サリン副生成物が検出されたことがスクープされました。1994年9月に起こした松本サリン事件の捜査が続く中での話でした。紙面を見た麻原は相当に怒り狂ったと伝えられています。証拠隠滅のため、オウムはサリンの大量生産を諦めざるを得ませんでした。

さらに、3月上旬には、信者が殺人事件に関与したことの物的証拠が警察に掴まれました。オウムはついに追い詰められました。

近く強制捜査が行われることを察知した麻原は、捜査を阻止するため、都心で大混乱を起こすことを計画しました。かくして1995年3月20日営団地下鉄の車内でサリンが散布されました。

 

富士山麓オウム泣く

サリン散布はかえって逆効果で、地下鉄サリン事件から二日後、山梨県サティアン群が強制捜査を受けます。

オウムが如何に抵抗してくるかは未知数でした。追い詰められたカルトがどのような反応を示すのか、当時最も記憶に新しかったのは、ブランチ・ダビディアン教団事件(1993、アメリカ)でしょう。戦車や攻撃ヘリを投入したFBIの強制捜査に対して、カルト教団が自爆をもって対抗した事件です。

オウムが持っていると推定されるあらゆる兵器に対して警戒がなされました。サリン、VX、生物兵器、AK小銃、…その中にはもちろん、オウムヘリも含まれていました。

サリンを搭載したヘリが離陸するといった最悪の場合に備え、御殿場にいた陸自の第1高射特科大隊が即応体制で展開していました。また、オウムヘリ撃墜のためにAH-1攻撃ヘリが待機していたとの噂もあります(ソース忘れたので教えてください)。

しかし幸い、オウム信者は無抵抗でした。犠牲者が出ることなく強制捜査は進み、1995年5月には麻原が逮捕され、事態は一応の収束を見せました。強制捜査の最中、オウムヘリはすぐに警察に接収されたと言われています。

結局、オウムヘリは日本で一度も飛ぶことはありませんでした。

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95年4月8日、強制捜査を受けるオウムヘリ 時事通信社より引用

 

オウムヘリのその後

強制捜査後、オウムヘリはしばらく富士宮に安置されていたようです。下記のブログには、1998年4月のオウムヘリの姿をとらえた写真が掲載されています。

shizuka2056.livedoor.blog

 

その後、オウムヘリは再び海外へ飛びました。

russianplanes.net

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こちらのサイトには、オウムヘリ4K-15214の遍歴が示されています。かつてCCCP152のレジを保有していた(別サイトによるとチェコスロバキア籍)他、2001年までにはJ2-MAWのレジでジブチ空軍の所属になっていたことが分かります。

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ジブチの位置

История ВВС Джибутиによると、90年代に「文字通り「ワンコインで」購入」されたとの記述があります。しかし、日本から直接購入したかは定かではありません。中間に他の所有者がいた可能性も考えられます。

 

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ジブチ空軍J2-MAW(元オウムヘリ) 撮影者不詳

オウム時代は真っ白だった機体は砂漠迷彩に衣替えし、横に何か(おそらく武器ポッド?)を搭載できるように改造がなされています。

ジブチは海賊で悪名高いアデン湾に面しており、対海賊戦に投入されたのではないかと想像されます。

 

サイクロン被災地域の救難活動

オウムヘリの最新の活躍は、2018年5月にアフリカの角を襲ったサイクロン「サガル」の救難活動です。

このサイクロンは特にソマリランド西部のアウダル州に甚大な被害を及ぼし、50名の死者を出す惨事になっています。

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サイクロン「サガル」により水没したソマリランドの街

 

ジブチソマリランドにヘリを派遣し、被害状況の観測と被災者の避難支援を行いました。現在ソマリアソマリランドプントランドソマリア連邦共和国・アルシャハーブ・その他もろもろ(連邦除きすべて未承認)に分裂し内戦中のため、各政権ネット上でのプロパガンダ戦略が盛んなようです。ジブチ政府に対し謝辞を述べるソマリランド副大統領のツイートに当該ヘリの写真が掲載されているのですが、このレジがオウムヘリと一致しています。 

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サイクロン被災者の救助にあたるオウムヘリ 尾部に"J2-MAW"のレジが見える

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オウムヘリから降りるソマリランド副大統領

 

つい先日の2019年11月21日、ジブチで豪雨災害がありました。1日で2年分の雨が降ったと報じられ、9人が死亡、ジブチ政府は非常事態宣言を出しています。インターネット上の情報だけでは確信を持てませんが、オウムヘリはこの災害でも活躍したものと見られます。

 

終わりに&参考文献

【オウムヘリ三行まとめ】
  • オウム真理教は、92年12月、ロシアの伝手を通じてアゼルバイジャンからMi-17を購入した。
  • このヘリは、サリンの空中散布のために導入され、95年11月に東京上空で散布を実行する予定であった。
  • 95年3月の強制捜査で押収されたのち、少なくとも01年にはジブチ空軍所属機になり、現在も災害派遣などで活躍している。

地下鉄サリン事件からまもなく25年が経とうとしています。この記事を読んでいる皆さんは、その当時生まれていないか、あるいは生まれていたとしても物心つかぬ幼児であったかと思われます。オウム関連事件の記憶は確実に社会から薄れてきています。風化を防ぐには、我々の世代が、オウムとは、サリン事件とは何だったのかを知らなければなりません。当記事がオウム真理教について知るきっかけとなれば幸いです。

それはそれとして、普段はこのブログで習近平による電磁波攻撃被害を告発したり天皇家の一員として集団的自衛権を擁護したりしています。よかったら見てってね

 

参考文献

[1]ヴァジラヤーナ教学システム,麻原彰晃
[2]未解決事件 オウム真理教秘録,NHKスペシャル取材班
[3]ヴァジラヤーナ・サッチャ,オウム出版
[4]サリン事件 科学者の目でテロの真相に迫る,アンソニー・トゥ
[5]オウム真理教事件とは何だったのか?麻原彰晃の正体と封印された闇社会 ,一橋文哉

[6]オウム『11月戦争』の恐怖,岩上安身,宝島30 95年12月号
[7]その他各種判決文などもろもろ